「i-Podの功罪は音楽を落ち運びすることのできるツールとしての大衆化(MP3プレイヤーとしてはひとり勝ち状態であることは周知の事実)とそのことによる周囲の音の遮蔽環境をつくってしまったことにある。」
大友良英はそのようなことをインタビューで述べていた。大友は多くの映画音楽やNHKの番組の曲などを制作する日本を代表する音楽家だ。その経歴からポスト武満徹、もしくは湯浅譲二、はたまた細野晴臣と言っても言い過ぎではないはずだ。そんなポジションがどうであるかは本人以外の外野(私も他ならぬ外野の一人であるのだが)が騒ぐこととしてはさておき、大友は自分自身の音楽に関わるもの、音をつくるものの今やるべきこととしての使命感のようなものが今展覧会からは感じられた。
原宿vacantでの展示”without records”は去年山口情報芸術センター(以下YCAM)で行われた”ENSEMBLES展”の延長として場所を変え、行われている。YCAMはもちろん芸術センターと名の通り、’芸術’表現をアウトプットするためにつくられた場所であって、音響環境はvacantより格段によいということは言わずもがなではある。しかし大友の求める音、聴かせる音が実現できているという意味ではvacantでの展示の方が成功しているのではなかろうかと思う。それは純粋にそこにある’音’をより意識して制作する大友の態度があるからに他ならない。
そもそもvacantは古着屋の店舗として使用されており、古着を取っ払った2Fの床は花柄のシートが半分敷き詰められた妙な空間である。その空間に100台の使い古されたターンテーブルと天井からつり下げられたフィラメントの電球が制御され、音と光を奏でるー。見た目の’きれい’さを求めた訳でなく、使い古された空間に、時間を含んだような視覚と聴覚の刺激による美しさがそこにはあった。箱(vacant)とモノ(”without records”)は時間という共通項を以てして、調和した。それはYCAMでの展示より適切な方法であったはずだ。
先のオオタファインアーツでの梅田哲也の展示でも同じようなことを感じたのだが、個人レベルでディズニーランドをつくるのであれば、このようになるに違いない。その純粋な動機からつくられる空間はシュヴァルの理想宮やワッツ•タワーとも肩を並べることさえできるのではないだろうか。また主観ではあるが、”without records”の展示は越後妻有トリエンナーレでのボルタンスキーの展示より明確で、美しかった。世界的大御所より責任感と作家の近くに作品があるように感じられたからだ。
今展示は”ENSEMBLES 09”と題された2009年の大友の仕事の一部に過ぎない。展示期間中に50歳を迎えた大友のアグレッシブルなおっさんパワーに今後も期待したい。

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