2009年10月31日土曜日

空気人形

シネマライズ
http://www.kuuki-ningyo.com/index.html

「ダッチワイフ」という存在は 知っているにせよ、使ったこともなければ、実物も見たこともない。男性の性対象の代替品(品、と使うのはおかしいのかもしれない)として存在している“モ ノ”が「ダッチワイフ」だ。性対象の代替となるのであれば、お金さえ払えば“モノ”ではなく“人”でも可能ではある。しかしそこを後者ではなく、あえて前 者を選ぶというところに使用者の理由が介在する。その理由は様々ではあろうが、少なからずとも人とモノの間にある一方的なコミュニケーションは、相手を思 う愛のようなものがあるように思える。むろん、これはとてもイノセンスな理由である。反応の有無を問わず、愛するのだから。



「空気人形」が名作なのか迷作な のかはよくわからない。というのも先述した通り「ダッチワイフ」が男性にとってのものであるため、この映画を見る際に性差が左右する内容であるからだ。と いうわけで自分にとって客観的に考えたところで結構なフィルターにかかった上での鑑賞でしかないわけで、以下書けそうな部分は箇条書きのような体で記して おく。


『空気人形がなぜ人の心を持ってしまったのか、というところが不十分。』

人の形をしているから“空気人 形”であることは分かっているのだが、モノから人(めいたもの)へ変化するのであれば、それなりにゼロから成長していかないことには納得ができない。日本 の映画だから日本語を話す“空気人形”。そのことに関しては“ワンダフルライフ”でのこの世とあの世の間の世界を描く際にも言えていたことで、この地域で のルールに則ったからこうなったようなある種、構造主義とも言えるものに依存しすぎているのではなかろうかと思える。それはちょっとズルい。


『描かれる地域が東京下町だけでなく、新宿のような山の手線の西部の繁華街に至ってしまったこと。』

“空気人形”はファンタジーであ る。現実世界の中でありそうな感じを描こうとするなら狭い地域、地区で話が展開していったほうが、粗は見えなかったはずである。そもそも空気人形のぞみの 持ち主秀雄が住む町は月島で昔ながらの下町情緒溢れる地区と川を挟んで高層マンションが建つという東京のミックスされたロケーションの描写は映画開始30 分くらいは丁寧に描かれていたと思うし是枝映画らしく美しく描かれていた。しかし後半に近づくにつれ、荒さが目立ちはじめる。月島のしがないレンタルビデ オ店で働く純一が東京タワーを窓からどかっとナメで見えるような港区あたりの部屋に住めるのか。オダギリジョー演ずる人形職人が新宿に住む必要はあったの か。その必要性以上に空気人形が新宿へ行くためのリスクのほうが大きかったように思える。月島から新宿に行くためには電車に乗らねばならないのだ。そんな に広域で話を展開するほどの要素はあったのか。


『登場人物の数はよかったのか。』

今作の本筋自体は空気人形とその 周辺の人々のお話である。「空気人形はからっぽで、現代を生きる人々も同じようなことが言える」という構造を月島周辺に住む人に投影する必要があったの か。空気人形を介して偏屈しているかもしれないが純粋である愛のベクトルを描こうとしている話の中で、本筋と関係のない人々を入れ込むことは水を差してい るように思えて仕方ない。ロケーションに関してと多少カブるのだが、もう少し絞った登場人物でも物語は成立するはずだ。


『「空気人形」が「自分を愛してくれているかどうか」を確かめる相手を間違えている?』

これは最大のミスとも言えるよう に私は思う。ネタバレになるのかもしれないが、後半上記のような場面がある。“私は「心」を持ってしまいました。持ってはいけない「心」を持って”しまっ たから、空気人形は人間に近い描写をされている。しかし、空気人形が愛を確かめる相手は思いを寄せる相手ではない。人が人を好きになるのであれば、好きな 相手からどう思われているかが大事なわけで、そこを間違えて描かれているような印象を受ける。これが監督の意図的なものであれば、空気人形の心は準人間程 度の心であったということになるのであろう。ともあれ私は映画館で見た際には「え?」となってしまった。


書くと文句ばかりになってしまっ ているようであるが、物語の内容自体は面白かった。しかし大きな欠落があるとすれば、たくさんの要素を入れ込むわりには雑に描きすぎなんではなかろうかと 思うのが「空気人形」を見て思うことではあるし、「ワンダフルライフ」からさほど変わっていない、そのざっくり感そのままに監督業から離れてしまうのは残 念である。

2009年10月13日火曜日

わが星

三鷹市芸術文化センター
http://www.seinendan.org/jpn/infolinks/infolinks090809.html

最近Twitterを始めたおかげで生の情報を得られる機会が多くなっている気がしている。4、5年前のmixiのようで、参加者が善意で情報を提供してくれている。大変ありがたいTwitterではあるが、mixiの今の状況を考えるとゆくゆくは・・・と思うと、なんとかこのままの感じで運営していってほしいものである。

と、そのTwitterで大評判だったため急遽最終日キャンセル待ちダメもとで三鷹に見に行った青年団リンクままごとの「わが星」。Twitterでの「よかった」とか「泣いた」とか本当に言葉としては稚拙と思えるようなレヴュー(Twitterが140文字のショートブログだとしてももう少し言葉は選べるはずだとは思った)ではあったが、不思議なことにレヴューすべてが肯定的であるのだった。

この「わが星」を観た多くの人が簡略化された言葉を選んでつぶやいていたのは、内容が誰もが知っているし分かっていることを主題にもってきたからだと考えら れる。人は産まれたら死もあるし、そういうような状態は何に対しても同じようにある、という無意識下に存在しているであろう当たり前のことを団地での人間 模様と太陽系の星たちとをリンクさせて落とし込んだのが「わが星」であるように思う。

私自身、この舞台は本当に面白かったし、実際に泣いてしまった。にも関わらず泣いたはいいが、どこで泣けたのかがよく分からない。特別な事も言っていない し、内容だってパンフレットの裏側に書かれてあるものに忠実だった(今思えばこれは完全にネタバレともいえる)。しかし、よく考えてみれば普通のことだっ たから泣けてきてしまったのではないだろうか。痒いところに手が届くが如く。

普段みんなは知っているし分かっているようなことは口には出さない。そのような類いの事柄をわざわざ言ったことところで何も変わらないし、実際になってみな いと分からないようなこと(“死”はこの類いにあたる)を「わが星」では家族の一日や一年を地球の自転や公転とあわせて描いていく。前者と後者は共に時間 という概念下で同じ時間の量であることに違いないのだが、その時間の解釈としては人と星では大きく異なる。人にとっての一日と星にとっての一日は“寿命” おいての割合は違いすぎる。その尺度の違う二項を比較しているのもナンセンスであることは分かっているのに、この舞台では何事もないように描かれる。理不 尽ではないが理不尽なようにも思えてしまうような“死”に対しての人の思いを無視して、星も人も消滅へと向かっていく舞台上での時間軸に乗せ、かなりざっ くりとしたフラクタル構造のようなものを持って物語は展開していく。

私が泣けてしまったのは、やはり自分は人で、“死”という当たり前にあることに理不尽だと思ってしまう心情が働きかけてしまっていたからで、自分は心がある (“死”は終わりということをなんとなく認識している)人間であるという事実と絶対に消滅はやってくるという実体験のない受け入れがたい、どうしようもな い隔たりからきていたのではないか。その二項間の関係はそっくり団地に住む家族の時間と星が動くことのでの時間とを描く「わが星」のシチュエーションにリ ンクしていく。この感じは普段一話完結で成立しているアニメの劇場版に近い。

一話完結のマンガやアニメというのは、永遠に続く日常を描いており主人公が成長することがない。設定としては主人公が成長してしまっては、その世界の中での バランスを崩してしまう。例えて言うなら金曜7時からテレ朝で見た時とそのアニメの劇場版の普段と違う、あの感じ。劇場版で描かれる深刻な描写は主人公を 何かしらの心情変化を起こさせ(それは成長に近い)、観る側も普段とは違う心の揺さぶりを体験する。しかし、その成長は劇場でだけの話であって、また金曜 になれば、普段どおりの永遠の日常が描かれる。キャラクターのビジュアルは同じであれど、中身は全くの別人なのだ。

「わが星」はアニメの劇場版に近いとは言ったが、舞台でありアニメ放送のようにまた来週の同じ時間に永遠に続く日常を描くわけではない。何度かの公演を以てし て、終焉する。それは青年団リンクままごとのつくってきた「わが星」の世界が終わるということで、表面にでかかっていた、誰もが知っているし分かっている ことを再び奥の方にしまい込んでしまっているようでもある。

なぜ泣けたのかなんて、どうでもいいことではあるとは思うのだが、たった80分の短い時間の中で永遠に続く日常を終わらせないようで終わらせた、終わらせたようで終わらせない、ままごとの舞台は一言「よかった」とつぶやくだけで十分にも思える。

な お、パンフレットの裏には「あー、地球に生まれてよかった」と大きな文字で書かれているが、この舞台は日本語圏であるから成立するような言葉の響きのニュ アンスが多くあったように感じられた。地球の部分は日本であってもよかったのかもしれない。もちろん観る側からも同じように思えたことも 確かではあるのだけれど。「あー、日本に生まれてよかった」と。


2009年10月7日水曜日

光 松本陽子・野口里佳

新国立美術館
http://www.nact.jp/exhibition_special/2009/03/hikari.html

「光」と言われると、なんとなくHIROMIXかしらとか思ってしまうのは自分の光の表現の原体験が90年代に置いてきぼりになっているのかもしれないが、その「光」のイメージ自体は柔らかな感じであることは変わっていないように思う。

今展示“光 松本陽子・野口里佳”は言わずもがな光をテーマにした展覧会である。光と言えど絵画の空気遠近法によって描かれた、見えたものを見えたように、というようなものではなく、松本・野口の「光、のようなもの」を感じたらこうなった、というような印象だ。

展覧会のスペースがきちんと二つに分かれていたため、見た順序どおりに、となると野口のほうが先だったので、野口についてから先に書く。

野口の作品は初期の頃に比べ、撮 影技法というところもあるが抽象性が増してきている。写真としてのイメージはあるのであろうが、イメージが不確かというべきか、もやもやっとしている。空 気、のようなもの、はたまた光、のようなものを捉えようとしているような。そもそもカメラは光学であるから、光を捉えるというのは、カメラとしては結構 まっとうな仕事をしているとも思える部分ではあるけれど、カメラの展示ではなく写真の展示、成果物を提示するということを考えるとかなり難解になってきて いるように感じられる。写真というのはイメージあってこそ、と考えるのはもはや古い考えかも知れないが、ティルマンスのオブジェとしての「写真」や杉本博 司の暗室での作業による「写真」の提示などからすれば、目に見える何か、ではなく、目に見えない何か、を写すために写真表現が移行しているのかもしれな い。そのような作家性の流れは、光学というベースによって成立する。やはり抽象性が高かろうが、写真家は写真家であるものなのだ。

野口里佳の展示スペースと対称的 に配置された松本陽子の絵画。もし松本と野口の展示が同じ空間で展示されていたとしたら。間違いなく松本の絵画は野口の写真を喰っていただろう。それくら い素晴らしかった。野口と松本の作品に優劣をつけたところの、喰う、という意味ではない。こう描くと矛盾が生じてくるような気もするが、松本の絵画には 「喰われるんじゃないか」というくらいの空間への開放感ともいうべきような広がりがある。タイトルは様々ではあるが、殊にピンクの絵画と呼ばれる作品群は ピンク色の雲のようなものがこちらに向かってくるような。はたまたふわふわのタオルに自分自身から飛び込む、まさにその直前のイメージのような。平面であ るにも関わらず、包み込むような(もしくは包み込まれるような)、またはこちらへと向かってくるような(もしくは自分が向かっていっているんじゃないかと 思うような)、松本の絵画は柔らかく気持ちがいい。ピンクの絵画の作品群はサイズとしては一辺が2m近くあり平均的な人よりも大きいのも、そう感じさせる 一因なのかもしれない。

今展示のカタログは中島デザインによるもの。中島デザインといえばcutな どロッキンオンの紙媒体を手がけている(もともと中島氏がロッキンオンにいたから当たり前だけれど)。また4,5年前に近代美術館での「連続と侵犯」のカ タログが中島デザインであった。一言で中島デザインの出版物を言うならば「かっこいい」。さすが商業ベースの仕事とでも言うべきか、完成度が高い。カタロ グであるにも関わらず、アートブックに近いとも言える出来。しかし、今回の松本の作品を見てしまってはどれだけよいカタログだとしても、やはり実物のほう がよいと言わざるを得ない、とコマーシャルフォトグラファーの瀧本幹也の写真のことを何となく思い浮かべた。

2009年9月3日木曜日

アイ・ウェイウェイ展-何に因って?

森美術館
http://www.mori.art.museum/contents/aiweiwei/index.html

特にこれといって興味があるわけでもなったが「六本木にいるので」という理由で森美術館にアイ・ウェイウェイを見に行く。

北京オリンピックのメインスタジオ”鳥の巣”をヘルツォーク&ド・ムーロンと共同デザインしたということもあって(とはいえアイ・ウェイウェイはオリンピック開幕前に中国側と決裂したとかなんとか)、メディアで多く紹介されていたし、前評判も高かったようだ。
しかし、実際見てみるとメディアで見たイメージそのままで本当にそれ以上のものがない。コンセプトに忠実といえば忠実ではあるが、本当にこれがアートやら美術やらの類いであるかどうか疑問。特に「古い概念を壊す」ということを実際に漢や清の時代の机やツボなどを着彩やら破壊するなど、ダイレクトに視覚化しすぎることは嫌悪感に近いものを感じる。
インタビュー映像を見る限りアイ・ウェイウェイ氏はニューヨークに滞在、制作しており、流暢な英語を話す「国際的な」アーティストの雰囲気を醸し出しているが、モノに対しての粗雑な扱いはモラルがイマイチな中国人と思われても仕方ない。

実に高い1500円であった。

2009年8月30日日曜日

Melody♡Cup

伊丹アイホール
http://www.takaminet.com/

私は純粋に高嶺格のファンである。ファンであることを自負している。

大学を卒業して数年、アートと言うのはビジネスと結びつくことで成立する、という事柄が結構な重要なファクターだということが分かってきたという実感に逆行するかのごとく、高嶺格の作品は買う買わないというところではないフィールドに位置する稀有な作家であると思う。一般的に欲しいから買うというのは作品の購買層に限らず、普段の買物でも当たり前に思う心理である。高嶺の作品はそれとは一線を画していて、欲しいとかの所有欲ではなく、誰かに知らせたい、見せたいと思わせる。もちろん高嶺が作家として生きていくためには、何かしら鑑賞者もしくはファンとして作品を買うなど還元をすべきであるとは思うのだが、お財布事情もあって出来ること・出来ないことがあるわけで、私個人として、出来うる事をすべきなんじゃないかとは思っている。私の出来うる事、は作品を極力見に行き、私周辺に広報していくことぐらいではあるが。とても私的というか思い入れになってしまうことが多い気もするが高嶺の作品は何かしらのしこりは残してくれる力のは確かである。

実のところ、毎年伊丹で高嶺格演出の舞台が行われていることは知ってはいたのだが、見に行く機会としては今回が初めてであった。とはいえ、初見であろうが何であろうが心の準備をしたところで、結局は覆されるのが高嶺格の作品である。それが作品として本当に面白いと思うし、決められていない価値観という意味では、現代美術らしいとも言える。作品が成立しうるためのテーマ性のようなものがあるとしても、見る側の解釈の自由がかなり許容される。

今公演では日本人とタイ人が役者として出演しており、見ていても日本語ではない部分はさっぱりわからない。途中タイ人の役者にインタビューするという場面があったりするのだが、そこでのコミュニケーションツールは英語だ。英語という言語はつくづく便利な言語である。タイと日本では英語が公用語ではないにもかかわらず、‘地球で最もポピュラー‘される言語ということで、英語を以て意思疎通をするのは奇妙なことだ(このことは水村美苗の「日本語~」関連の本を最近読んだことが大きく影響しているかもしれない)。言語、というか国に関しての思考を作品化するアプローチは高嶺は何度もしているので、一見ディスコミュニケーション状態での舞台の進行であったようにも見えたが、それほどディス、の状態ではなかったのかもしれない。
ところで今公演で最も目を惹いたのは、「舞台装置」であった。以前のインスタレーションで地面にプロジェクションすることで文字を発見したかのように、新しい「仕掛け」があった。それは舞台全面に広げられた大きなブルーシートによる効果であった。高嶺はそのシートを巧みに使い、海のような、山のような大きな空間をつくりあげた。高嶺の特筆すべき作家性はテーマ性も含め、なにかしら日常を引き上げてくれるところにある。今回の舞台では日常的に建築現場などで目にするブルーシートがそれの役割にあたっていたように思える。

今まで高嶺の体験型の作品をいくつも見てはきたが、今回の”Melody♡Cup”は様々な要素が盛り込まれていた(ある意味では散漫とも言えるかもしれないが、どういった風に散漫であったかは割愛させていただく、その散漫さも要素の一つですら思えるからだ)。要素、というのはテーマ性のような概念的なものも舞台装置のような物質的なものも等価と考えたうえでの要素であり、要素があればあるほど、鑑賞者を混乱させる。私は混乱させられ、裏切られた、と思わせられるが、次回もまた期待したくなるのが高嶺の作品の楽しみ方の一つでもあるように思っている。

2009年8月10日月曜日

大友良英 without record

vacant
http://www.n0idea.com/vacant/event/entori/2009/7/4_without_records.html

「i-Podの功罪は音楽を落ち運びすることのできるツールとしての大衆化(MP3プレイヤーとしてはひとり勝ち状態であることは周知の事実)とそのことによる周囲の音の遮蔽環境をつくってしまったことにある。」



大友良英はそのようなことをインタビューで述べていた。大友は多くの映画音楽やNHKの番組の曲などを制作する日本を代表する音楽家だ。その経歴からポスト武満徹、もしくは湯浅譲二、はたまた細野晴臣と言っても言い過ぎではないはずだ。そんなポジションがどうであるかは本人以外の外野(私も他ならぬ外野の一人であるのだが)が騒ぐこととしてはさておき、大友は自分自身の音楽に関わるもの、音をつくるものの今やるべきこととしての使命感のようなものが今展覧会からは感じられた。


原宿vacantでの展示”without records”は去年山口情報芸術センター(以下YCAM)で行われた”ENSEMBLES展”の延長として場所を変え、行われている。YCAMはもちろん芸術センターと名の通り、’芸術’表現をアウトプットするためにつくられた場所であって、音響環境はvacantより格段によいということは言わずもがなではある。しかし大友の求める音、聴かせる音が実現できているという意味ではvacantでの展示の方が成功しているのではなかろうかと思う。それは純粋にそこにある’音’をより意識して制作する大友の態度があるからに他ならない。

そもそもvacantは古着屋の店舗として使用されており、古着を取っ払った2Fの床は花柄のシートが半分敷き詰められた妙な空間である。その空間に100台の使い古されたターンテーブルと天井からつり下げられたフィラメントの電球が制御され、音と光を奏でるー。見た目の’きれい’さを求めた訳でなく、使い古された空間に、時間を含んだような視覚と聴覚の刺激による美しさがそこにはあった。箱(vacant)とモノ(”without records”)は時間という共通項を以てして、調和した。それはYCAMでの展示より適切な方法であったはずだ。


先のオオタファインアーツでの梅田哲也の展示でも同じようなことを感じたのだが、個人レベルでディズニーランドをつくるのであれば、このようになるに違いない。その純粋な動機からつくられる空間はシュヴァルの理想宮やワッツ•タワーとも肩を並べることさえできるのではないだろうか。また主観ではあるが、”without records”の展示は越後妻有トリエンナーレでのボルタンスキーの展示より明確で、美しかった。世界的大御所より責任感と作家の近くに作品があるように感じられたからだ。


今展示は”ENSEMBLES 09”と題された2009年の大友の仕事の一部に過ぎない。展示期間中に50歳を迎えた大友のアグレッシブルなおっさんパワーに今後も期待したい。

2009年7月27日月曜日

極並佑 個展

NODA CONTEMPORARY

http://www.nodacontemporary.com/exhibition/index.html


ジュリアン・オピーとどう違うのか、考える。


極並というのかなり珍しい名字で覚えていたのか、べたっとした面が印象的だったから覚えているのかは分からないが、極並の絵画のイメージは脳裏に残る。一般的にイメージに伴う字面(タイトルというよりはむしろ制作者名)を覚えているというのは私だけではないはずで、イメージとそのイメージを自身の中で言葉で説明するタグのようなものがあるとしたら、極並という名前と彼の描く絵画はそれにあたるように思う。


実際に極並のイメージを思い出せる(思い出すではなく、思い出せる、と表現したい)理由を浅はかであると言われるのを承知で言うのであれば、ジュリアン・オピーに引っ張られるような印象を受けるからだ。その浅はかもしれないという可能性の責任をとるべく、自分なりに極並とオピーはどう違うのか考えたい。



オピーのイメージ体験が私にとって強烈なのは、10代の終わりにブラーのベストアルバムのジャケットで出会っているからなんではないかと推測される。音楽への造詣は深くはないにしろ、それなりに音楽を聴いていれば90年代グランジやらブリットポップやら聴いていたのは当然の流れだったのかもしれない。ブラーは言わずもがなブリットポップの中心でオアシスと双璧を成していたわけだが、個人的には見た目が男前で中流階級的のブラーの方が労働階級でひねくれたオアシスよりかっこ良かったという理由からブラー派だった(もちろんsong2などのキャッチーな曲を嗜好した上でのブラー派ですが)こともあり、ブラーのベストアルバムを買うのも自然な成り行きではあった。イギリスではスターであったブラーがベストアルバムのアートワークに選んだのがオピーで、メンバーのポートレートをかなり大胆に削り落としたイメージを作り上げた。だらだらっとオピーの出会いを書いてしまったが、最後に書いた大胆に削り落としたイメージ、というのいうのは結構なインパクトで、顔のニュアンスがすべて簡略化された世界的なミュージシャンは’blur'のビジュアルイメージとしてではなくオピーの作品として昇華(消化?)されていったようにも思われる。と同時にブラーのイメージ戦略の間口の広さとして考えうることもできる。


顔、というのはヒトを形成・イメージするためには重要なもので、子供が「パパの絵を描いて」という父親のリクエストにきちんと目、鼻、口を判別できるような状態で描くことができるほど、人間には顔へのイメージ、出力が無意識に備わっている(顔のパーツがそもそも簡略化しやすいとも言える)。一方で見る側も「奈良美智の絵みたいにさ~」と言われれば、同じようにその顔の感じをイメージできる。

極並の絵はそういったイメージできる顔がでてこない。顔と言ってよいか、顔に含めるべきかどうか、というような一般的に顔として認識している概念のキワに近いようなものを描いている。要は顔としてのパーツ部分を描かずして描いているのだ。極並はポートレートという位置づけで考え、描いているであろうと考えられはするが、直球のその人そのものを描かない構図なのだ。それは肩越しであり、その後ろには階段があり、ポストがあり、もしくは何もない。極並は人そのものを描く訳でなく、その人の背景だとか雰囲気だとかをべったりとしたマチエリで描く。極並はオピーの絵画の一枚一枚の間にある、個人個人の関係性を描いているかのようである。



人は自分自身で認識する主観的な自分のイメージと他者から見た自分を見た客観的なイメージの両方を以てして存在している。オピーと極並の描く絵画は他人のポートレートであるから、後者に相当する。しかし同じようなべったりとした表面性を用いて、同じように他人を対象として描いては描いている二人は同じようには他人が見えていないことは確かであるようだ。



2009年7月15日水曜日

内海聖史 "色彩のこと"

スパイラルガーデン

結局絵の具をメディウムとしたのドット打ちじゃないか、とか言ってしまったら元も子もない。


内海聖史の絵画はプロセッシングのソースを用いて制作された人工生命めいたツブツブのようではあるけれど、その感じをファインアートでやったらこうなった、という感じである。

内海は絵の具の美しさを表現すべく、ドットで絵の具のマチエルを活かした制作を試みている。シンプルなドットだからこそ、絵の具の持つ物質感が表面にでてくるゆえ、内海の作品は図録での展示風景で見るよりずっと実物の方が、ただのドット打ち、という印象以外のものを感じさせてくれる。内海の絵画は確かに平面であるけれど、絵画的空間性以上に実空間へのアプローチ及び実空間の中での絵画のありようを感じさせてくれる。ドット打ち、点の重なりが内海の意思を持つ事で平面から飛び出してくる、そんな感じなのだ。

コンピュータを使用したビジュアルのものは、凄たらしい。しかし、その凄たらしいさのほとんどはソフトウェアのテクニカルによるものであると私は思っている。コンピュータによる描画はバグが起きては、基本的に作動しない。しかし、アナログな人為的なバグ(要はデジタルのバグの対極、手描きによるミスのようなもの)は物質として成立し、そのバグのような要素が絵画としての面白さだったり、可能性へと繋がるファクターになりうるような気がしている。

内海の絵画はアナログなバグの生み出しうる形を簡潔に、かつ作品としてそのようなマイナスに働きうる要素を昇華させた形なんではなかろうかと、感じる。

2009年7月3日金曜日

鈴木理策「WHITE」

Gallery koyanagi

2007年東京都写真美術館での”熊野、雪、桜”は素晴らしいかった。そのことは疑いない。光と写真を用いて展示空間を一変させたインスタレーションは従来の写真家の展示方法とは一線を画するものがあった。


ギャラリー小柳での展示「WHITE」は写真美術館での「雪」の延長であろうが、正直がっかりした。鈴木の腰の調子があまり芳しくないというような事を聞いたが、それをさっ引いたとしても、付け焼き刃もような印象を受けた。結晶を写した写真は顕微鏡を覗いたような形で窓を切っていたが、そのアプローチ自体小手先仕事のようで、また一つの画面に対して縦方向に写真を複数設置していた作品も何か貧弱な印象だった。都写美での展示で鈴木理策という作家は完成してしまっていたのだろうか。そう思うと残念でならない。


社会情勢がよくないときこそ、名作が生まれるというのはよく言われることだが、一方で”不景気”の影響が美術の業界に影響しないわけはない。財布の紐が固くなるので、作品が売れない。「WHITE」でもそれに近いようなことが垣間見られた。私が行ったのは展示期間の一週目だったので、一概に言う事はできないのかもしれないが鈴木理策クラスであれば、初日に完売していてもおかしくない。しかし作品リストにはシールが三枚。

これから貯金を切り崩していくか、新しい局面を模索していくか。色々な意味で鈴木理策は踏ん張り時かもしれない。

2009年7月1日水曜日

「真部知胤展」Tomotsugu Manabe Exhibition

ANOTHER FUNCTION


「ただ良い彫刻がつくりたい、それだけ」
それを真部が言っていたのは3年前だったか5年前だったか、覚えていないが、その言葉自体は強烈であった。


真部は以前に塑像での人体彫刻を制作していくうち、’人体’とファクターより’塑像’という手法をプライオリティとして彫刻を考えるように転化していったと述べている。’塑像’、というのはモデリングしていく、足し算の彫刻だ。芯となるものに
可塑性素材を盛りつけてかたちをつくっていくのであるから、自然と中へ中へとを押し込んでいかないと当然重力に負けて表面は剥がれ落ちてしまう。塑像をする上で中心に押すということは基本とも言える事であるが、一般的に’彫刻’というものを考える時、’かたち’やら’量感’やら’ムーブマン’やら要素としては種々あるなかで、真部が選びとったのは、塑像を通して中心に押すということだった。その証拠に作品の表面には真部の指紋、指で押した痕跡が残されていた。基本に忠実と言えばそこまでなのかもしれないが、紆余曲折を経てそこに辿り着いた真部のやり方は彫刻の本質へと迫ろうとしているのではないかと思われる。


田中功起が保坂健二朗との対談(田中功起、言葉にする http://kktnk.com/podcast/kotoba/kotoba.html)の中で”今の作家”は現代美術をつくる職人のようだというような事を言っているが、確かにそのような風潮は盲点のようなもので、彫刻なり絵画なりベースにするメディアはあれど、現存する作家は現代に生きているから現代美術という結構大きな枠のメディアに依存していないとは言い切れない。真部の「ただ良い彫刻がつくりたい、それだけ」という言葉は、彫刻というメディア(メディアという言い方が正しいかどうかはわからないが)に対して真摯に向き合った結果としての言葉であるような気がしている。


今展示は今年の四月に多摩美の大学院を修了したばかりの真部知胤の初の個展となる。個展に至った経緯はともかく制作場所を大学から自らのアトリエに移して、学生でなくなったところでの初個展というのは本人としても色々と考えることがあったはずだ。欧米が中心となり現代美術の歴史をつくってきたのは事実であるが、日本も他でもなく市場は小さいが現代美術というものが美術のメインストリートとして受容される国のひとつだ。そんな国において、’彫刻’に向き合う真部の今後の活動にも期待したい。

2009年6月23日火曜日

「MOTコレクション−MOTで見る夢/MOT.Field of Dreams」

東京都現代美術館

池田亮司と同時開催、というか常設展示であるから料金据え置き1000円。普段美術館に行かない人、企画展を見にきた人にとっては常設なんて、と思われる事もあるだろうし、見る事なく帰宅の途につく人も多かろう。しかしMOT(東京都現代美術館)のコレクション侮るなかれ、と言える内容になっている。

現代美術館と名前がつくだけに戦後を中心にコレクションしているわけだが、近年購入したであろう作品は国内の著名なコマーシャルギャラリーから直で買い付けしてきたような作品ばかりで驚かされる。一時は経営危機に陥り作品購入費が0円にあった事もあったそうだが(これはリーマンショック以前の話)、その後積極的に高騰する前の若手の作品を購入したことで他の美術館では見られないようなラインナップとなっている(実際前回東京都現代美術館に来た時、”パラレルワールド”だか”屋上庭園”だかの際にコレクション展のリニューアルを見たときには、本当に驚いた)。

前述したが主に戦後の美術を中心に展開しているコレクションとはいえ、中には20世紀初頭の作品もあるわけで100年近い時間の隔たりがある作品群の展示であるが、展示構成の違和感はないし、収集だけでなく展示に対する学芸員の力があってのコレクション展と言える。特筆すべき作品と言われるとなかなか難しいが、個人的に未見であったアレックス・カッツの作品が見る事が出来たのは収穫であった。2006年の大阪国立国際美術館での”エッセンシャル・ペインティング”に出展されていた作家(リュック・タイマンスやローラ・オーエンズなど)は”エッセンシャル〜”が見に行けずとも、別の場所(主に東京)で見る事ができていたので、アレックス・カッツが見れたのは幸運だった(しかも東京都現代美術館の常設で見れるとは!)。またステラの作品は川村記念美術館で見るとおっさんくさいというか、古くさく見えてしまうのに現代美術館ではそうは見えないのが不思議だ(これも学芸員の展示構成の力か)。

上野の森美術館では日本屈指の現代美術コレクター、精神科医・高橋龍太郎氏のコレクション展”ネオテニー・ジャパン”が開催されている。こちらはコレクターであるから高橋氏の自腹で作品を購入している。出品されている作品群は価格が高騰する前であろう頃に購入したと思われる。購入時はそれほど高くはなかったかもしれない。しかしどの作品も教科書で見れるくらいのものだったり、美術館に入ってもおかしくないような作品ばかりだ。結果としてそうなっていったのかもしれないが作品の収集、展示、と高橋氏は個人レベルでメセナ活動をしたといっても言い過ぎではない。
リニューアルされた東京都現代美術館の常設展示での作品収集は学芸員長谷川祐子の存在が大きいはずだ。近年の作品の収集も日本で一番の凄腕学芸員がいてこそ、だとは思う。とはいえ購入費用は現代美術館の学芸員が捻出しているわけではなく、都民の血税によって賄われている。若手の作品を買うという事は育成にも繋がることは確かだが、いかんせん東京都現代美術館は民間ではない。メセナ活動に近いと言えど、やはりお金の出所が根本的に違う。現代美術は難解だと言われて久しいが、コレクションしていく作品について都民にもっと理解を求めていく事は作品の保存と同じくらい東京都現代美術館の重要な役割と言える。

2009年6月22日月曜日

池田亮司 +/- [ the infinite between 0 and 1]

東京都現代美術館

6月21日は夏至で一年で一番昼が長い日である。とはいえ’昼’というのを個人のレベルで満喫するには、やはり日の出と日の入りがはっきりする晴れでないと’昼’自体の始まりや終わりがわからないわけで、今日の雨という天気からすると結局夏至を満喫できずに終わった一日であったのは疑う余地なしである。
とまぁ前置きはだらだら書いたが6月21日に終わる展示はどうやらいくつかあるということは知っていたのだが、じゃあどの展示を見に行くかとなるにしても雨という天気からすれば、どれも見に行くのめんどくさいとか思ってしまうのは悪い癖だとか思いつつも、そういえば池田亮司を見に行くつもりで見に行けてなかったことを思い出し、現代美術館に向かう事にする。
ここまでは完璧に日記な気がする。


池田亮司をミュージシャンというカテゴライズはなんだか違和感を感じる(wikiでは実験音楽のミュージシャン、となっている)。どういう立場で見るかはどうとも言い難いが、今展示は映像+サウンドのインスタレーションである。実際前評判というか見に行った知人から聞いた話では、見に行くべきかどうかはよくわからない、というような事を聞いたが、確かにシチュエーションによって大きく見え方が変わるような展示であったことは確か。
良かった点としては会場構成。1F・B1Fともに同じようにL字の空間をとり黒と白の対比をわかりやすくつくったこと。建物の構造上の問題で柱が邪魔にはなったがタイトル”+/ー”を再現するための空間作りは充分に感じられた。
悪かった点、というか私が最終日に行ってしまったことが大きくあるとは考えられるが、白い部屋、B1Fの床が白くはなくなってしまっていること。当たり前だが、人が入ってナンボの展覧会。人が結構来ました、という証拠か床のフェルトは鑑賞者の足によって汚されていた(かくゆう私も汚した一人ではあるが)。やはりハレーションを起こすくらいの白さは、白のまま保っていて欲しい。
池田はモノクロがベースの映像をプロジェクションし、大きな空間での鑑賞する。鑑賞者は大きな空間であるから視点を動かす。しかし、この鑑賞行為がモノクロ以外の余計な色を知覚させる。プロジェクターから発せられる光はRGBで構成されており、あるプロジェクションをした光を見て別のプロジェクションの光を見てしまうと残像としてRGBが見えてしまうのだ。このことは生理現象であるからどうにもならないといえば、どうにもならないのだが・・・。なんとかできなかったものか。

ミニマル、最小限の創作方法という定義は自然発生的に1960年頃に生まれてきたそうだが、色々と前述はしたが主にモノクロの映像をプロジェクションする池田はミニマルの系譜に乗っていると思って良いはずだ。その証拠にYouTube等の動画サイトの粗い画像であっても、池田の映像(ライブ映像でなく音楽に付随するプロジェクションされるであろう映像)は視覚的のも耐えうる。私はYouTubeを配信という意味でなくヴィジュアル的に味方につけた点は池田亮司の作家としてもっと評価されるべきだと考える。ミニマル、ミニマル言っておきながらではあるが、池田亮司を知っている人なら(言葉の選びは違えど)黒い画面に白い数字がぐるぐると並んでるような映像を思い浮かべることができるように、かなり抽象的とも言えるような共通認識を思わせる作品をつくるのが池田であって、とはいっても池田を知る人が思い描く映像はきちんと池田亮司の映像として在るのだろうからミニマルっていうのは定義自体はモノありきの結構曖昧なもんじゃないかとも思う。



実際のところ、池田亮司のインスタレーションだけでチケット代が1000円というのは高い。確かに現代美術館並の大きな空間は見る事はなかなか稀な機会ではあるけれど、ご自宅のPCでのYouTubeでも結構楽しめますよ?

2009年6月15日月曜日

楢橋朝子「フニクリフニクラ」

Port Gallery T

楢橋朝子は水の中の人、という印象がある。”half awake half asleep in the water”というシリーズでのビジュアルが及ぼす影響が何より強いとは思うのだが、寝ぼけ眼で視界がぐらぐらしていることを体現したかのような水平が守られない水の中から撮影された写真群は、タイトルの日本語訳’水中での半睡半醒’というのにふさわしい。

今展示”フニクリフニクラ”は楢橋が”half awake half asleep in the water”を発表した以前に発表した作品(撮り始めたのはどちらが先かは分からないが写真集として発売されたのは”half awake〜”のほうが早い)であって、街を歩く中で撮影されたよう。街というの身近な街であって、国内で撮影されているのだが、イメージの中の例えば看板のような日本語表記されているものが写っていなければ、日本かどうか分からない。身近な街でのスナップというと、どうしても意図しない生活感がついてまわるのが常であるが、楢橋の作品ではそういったものが感じられずとも、『見落としがちな』風景を作品化している。

とはいえ『見落としがちな』風景を作品化するとなるには、何かしらのギミックが必要だったりするわけで、そのまま『見落としがちな』風景を展示してしまうとしたら、見る側も見落としてしまう。楢橋の発表した”フニクリフニクラ”はサイズこそ11×14インチと大きいわけでもないがメディウムがC-printと特に変わった出力でもない。しかし、見た感じが「しとっ」としているのだ。物質としての写真自体が水分を含んでいるような、指で押せば水が染み出てくるような。”half awake〜”以前に”フニクリ〜”を発表しているとはいえ、水気に関しての直感めいたものが本人のなかにはあったのかもしれない。もしくは映画「オランダの光」の中に見られるような、オランダにはオランダの光があって、レンブラントをはじめとするアーティストに影響を与えていたようなものに近いのか。いずれにせよ、楢橋の写真には水っぽいようなマチエリめいたものが感じられるのだ。

写真と絵画は同じ平面表現であり、絵画をつくるうえでマチエル(画肌)は重要なファクターの一つである。しかし写真を紙に出力する場合、制作者側の多くの場合はマチエルに関しての意識は驚くほど低いように思える(プリント面の傷等は除いての話ではあるが)。ティルマンスは印画紙をモノをして扱う事で写真の拡大解釈へと繋がった。楢橋の写真はwebで見た時と実物の印象が大きく異なる。イメージのマチエリを操作したように見える楢橋の写真は紙である写真の物質性の可能性を感じさせる作品であったように思える。

2009年6月8日月曜日

野村仁 変化する相―時・場・身体

新国立美術館
http://www.nact.jp/exhibition_special/2009/03/nomura.html

中原は美術オタクだったそうで高校時代には野村仁の存在を知っていたそうだ。京都市立芸大に入学した中原は野村を師と仰ぐー。中原のルーツを知るべく、野村仁の展示を見に行った。
以前(2001年、気がつけば8年もの時がたっていた)豊田市美術館での展示を見ていたが、その時はまだ私自身アカデミックな美術教育は受けておらず、ただ『美術館へ行く』という目的を持って見に行っていたはずで、見たところでなんだかなんて分かる訳もなく、『つまらなかった』という印象ばかり残っていた。しかし、今回の展示を見て、その8年前の『つまらなかった』は撤回せざるを得ない。『面白かった』のだ。

野村は見えないものを見えるようにするためのはどうすればよいか、という方法論に近いようなところを作品化しているように思える。卒業制作での巨大段ボールは重力と時間を、その後につくられたドライアイスを用いた作品は時間を追いかけるために写真を効果的に使い、写真を使っていくやり方はその後の「'moon' score」へと繋がり、そして宇宙へー。今展示では野村の仕事の繋がりがテキストと共に丁寧に並べられており、野村が「何を考えているのか』、ということが分かりやすく示されており、もともとは野村個人で制作されてた作品は、状況に応じてプロジェクト化されていくのも納得できる。
宇宙の形なんて、誰も知らない。地球の自転なんて、以前は信じられていなかった。野村はそういった大きすぎるものに対しての理解を『作品』を介して私たちに見せてくれる。見えないものを見えるようにする、という美術家として全うする野村の仕事を『つまらなかった』のまま放置していたことを恥じるばかり。回顧展が近い時期に(とはいえ8年ではあるが)あったことは幸運であったと思う。
そもそもは中原のルーツを、と思い行ってみた展示だったが、野村の「鶴」あっての、中原の「ツバメ」だった。

余談ではあるが新国際美術館には一昨年の五美大の卒業制作展示に訪れて以来であったが、日曜であるにも関わらず人の少なさに驚いた。新国立美術館はポスト東京都立美術館的存在になりうるのだろうか。しかし公募団体に跋扈されているようでは、未来は決して明るくない。

2009年6月4日木曜日

「変成態−リアルな現代の物質性」METAMORPHOSIS - Objects today Vol.1 中原浩大

αM

中原浩大はよく分からない作家である、と私は思う。

フィギアを初めて作品化したのは村上隆ではなく、中原浩大であることは有名な話であるが、中原はフィギアだけでなくレゴやロボットの操縦席のようなものを制作するなど様々なメディア(というより”モノ”感が強いようにも思う)で作品を発表している。また、80年代「関西ニューウェイブ」と称されている作家の一人であったこともあってか、なかなか東京では見る機会が、ない。

今回αMに出品された「ビリジアンアダプター+コウダイノモルフォII」は1989年での松村画廊で発表されて以来、一度も展示されたことはないというのだから、初見である。空間に赤と黒が半分ずつ塗られた1mほどの球2つに毛糸で編まれた、幾何学的というのをもっと崩したような模様が床に敷かれる。αMのDMやwebで見る事の出来るイメージに近い。
と、やはりここで思うのが、『分からない』、ということなのだ。とはいえ、その”分からない”というのは突き放すような感覚の『分からない』のではなく、「なんだこれ」という好奇心に近い感覚での『分からない』である。

作品を見る上で、人は好き嫌いというフィルターを除いて鑑賞する事はできないであろうと私は考えている(実際に私もそうだ)。先日、友人が彫刻家の三沢厚彦の作品の印象は「ぐっしょり」で、実物を見てもやっぱり「ぐっしょり」しており、けれど足の付け根のフォルムには共感していて、触らないけど、触りたいくらいだ、というようなことをブログで書いていた(その友人は三沢厚彦の教え子である)。私はその友人の言う「ぐっしょり」感やその足の付け根の具合を共感できる、ということを『分からない』として分かっているような気がしている。『分からない』感を分かる、という感じ方もあるように思う。

「知らなかったものを発見したときみたい」—”ナディア”を制作したときに中原は言ってる(2008年12月号美術手帖の1992年3月号を再掲載したものによる)あたり、作品を制作すること自体が『分からない』を模索した結晶なんじゃないか、と思わせるように、鑑賞する側のひとりとしては『分からない』中原の作品を楽しみたい。

2009年5月22日金曜日

田島秀彦展 「楽園の少年」

アーバンリサーチ
http://www.urban-research.com/UR/gallery/

新宿のビームスにはだいぶ前からギャラリーがあって、コマーシャルギャラリーの所属のような作家ではなくて、イラストレーターだったりコマーシャルな写真家だったりと、なんというか美術手帖なんかには載ってなさそうな感じのする作家が紹介されたりしていた。何かの機会で一度行ったきり、再度足は運んでいない。あくまで印象なんだが、アートっぽいんだが美術っぽくないというか、そんな感じで、もう行かないだろうな、とか思ったりしたような記憶がある。とはいえ最近ではTOKYO CULTUART by BEAMSを原宿の店舗で展開したり、冬のセールの際には名和晃平や田幡浩一を起用したキャンペーンなど、以前よりも美術っぽい雰囲気がしている。
今回のアーバンリサーチ(以下UR)での田島秀彦の展示も括りとすれば、そのようなアパレル方面からのアプローチであるような気もするが、実際に店舗で使われる什器などを台座として展示する方法は、店舗と作品を切り離すこと無く、URの延長として機能していた。
田島秀彦を初めて見たのはおそらく名古屋のケンジタキギャラリーでのグループ展であったように思うが素材感もあり、かなりファニーな印象だった。ケンジタキでの印象とURでの印象は空間の違い(URでは”アパレルショップっぽい”音楽が聴こえている)もあってか、かなり違うものではあったが、ペインティングもインスタレーションも同等に扱いながら制作しているであろう田島の作品はその場所に合わせる柔軟性も持ち合わせていたようだった。

とはいえ、ギャラリースペースはギャラリースペースとして独立しすぎているようにも感じさせることも確かで、服を買わずに展示会場の3Fにまで上がるのには、なんだか気が引けた。餅は餅屋ではないが服屋のにーちゃんは3Fでは接客してくれない(接客はしなくてもいいが、スタッフがいないのは如何なものか)。fashion×artというハイブリッドな戦略を打ち出すのであれば、アートの造詣のある店員かもしくはファッションに造詣のあるキュレーターの一人くらいいてもいいんではないかとも思う。今後に期待。

2009年5月16日土曜日

大西伸明展 垂直集め

c・スクエア
http://www.chukyo-u.ac.jp/c-square/top.html

大西の作品は本物を本物以上に、という印象を受ける。実際にバリの処理や着色の正確性などのテクニックは言わずもがなではあるが作品の一部をFRPの素材そのままであったり、複製を対に展示することで、ただの複製ではない作品性を孕む。
その”ただの複製ではない作品性”というものがどういったものかを言葉にするのは容易くはないが、「質感をリアルにするところが目的ではない」という大西の言葉から、ただマルチプルの作家と言われるのは遺憾なのであろう。
しかし質感への追求ではないにしろ、透明であるFRPの一部(特に足、設置部分)を露出させることは、モノとしての強さを弱めるようにも思えるし、また対になる作品群は時間軸を止めてしまっているようにも感じられ、立体芸術≒彫刻の持つ彫刻性からは遠く離れているものを大西は求めているように感じられる。
とはいえ、大西は彫刻性とかそういったものの上で作品を語ろうとしている訳ではなく、鉄筋を”tekkin”に、スコップを”sukoppu”へと表記を変えているような、前者と後者の間の事柄(間だけでなく前者•後者も含めるのかもしれない)を埋めていくような行程を体現しようとしているのかもしれない。

2009年5月10日日曜日

金氏徹平:溶け出す都市、空白の森

横浜美術館

正直侮っていた。

金氏徹平、といえば日常品を色々と引っ付けていく”拡張していく”作家だ、ということで。
その変型した”日常品”をわざわざ1000円の交通費、それと同じ程度の入場料を払って見に行くべきなのか?という疑問が拭えなかった、ということで。
以前に児玉画廊で見ていたから、というのも横浜へ足を遠のかせていた、ということで。
見に行く理由(もしくは行かなかった理由)はどうであれ、結局は見に行った。

樹脂をぶっかけたやつとかコーヒーのやつとか、ふーんとかへぇーという『知っている』ものを目にした時の感嘆はあった。
しかし『知っている』とはいえ、初見のものがほとんどだと発見することも多くあるもので、元々はフリーソフトのような存在として成立しているであろう白地図やぬりえの”線”のコラージュはソース自体を切り刻み、再構成することで元々あった”線”の著作のようなものをものを失っていたし、その再構成された”線”は展示会場を囲み、新しい空間をつくっていた。ソースの各々の”線”の力をなくす一方で、空間の印象を変える”線”の力を感じさせた。

しかし圧巻であったのは金氏初挑戦という映像であった。
プロセスが描きこまれたドローイングの展示とそれが布石となり、できあがった30分のループ映像。
画面のサイズといい、散らばったプロセスが同時に動いていくのは、人間の目の位置では全てを追う事はできない。
はっきり言って見づらいが、そのことが見る側の視点を絞らさず、それがよいのだ。
画面(えづら)の善し悪しではなくとかはなく、アニメーションであるにも関わらず感覚としてしこりを残してくれた。
その映像は似て非なるものではあるが、ヴィジュアルという意味ではR.E.MのPVに近いような気がしている。

ブログ開設宣言

”見たもの”に関して”思ったこと”を”書く”ためにこのブログを開設する。
きちんとした書き手ではないし、文体に関しての安定感は欠くことはあるにしろ
”思ったこと”を文字に起こすこと=”書く”ことを目標とし、ブログを書き進めることにする。