2009年10月13日火曜日

わが星

三鷹市芸術文化センター
http://www.seinendan.org/jpn/infolinks/infolinks090809.html

最近Twitterを始めたおかげで生の情報を得られる機会が多くなっている気がしている。4、5年前のmixiのようで、参加者が善意で情報を提供してくれている。大変ありがたいTwitterではあるが、mixiの今の状況を考えるとゆくゆくは・・・と思うと、なんとかこのままの感じで運営していってほしいものである。

と、そのTwitterで大評判だったため急遽最終日キャンセル待ちダメもとで三鷹に見に行った青年団リンクままごとの「わが星」。Twitterでの「よかった」とか「泣いた」とか本当に言葉としては稚拙と思えるようなレヴュー(Twitterが140文字のショートブログだとしてももう少し言葉は選べるはずだとは思った)ではあったが、不思議なことにレヴューすべてが肯定的であるのだった。

この「わが星」を観た多くの人が簡略化された言葉を選んでつぶやいていたのは、内容が誰もが知っているし分かっていることを主題にもってきたからだと考えら れる。人は産まれたら死もあるし、そういうような状態は何に対しても同じようにある、という無意識下に存在しているであろう当たり前のことを団地での人間 模様と太陽系の星たちとをリンクさせて落とし込んだのが「わが星」であるように思う。

私自身、この舞台は本当に面白かったし、実際に泣いてしまった。にも関わらず泣いたはいいが、どこで泣けたのかがよく分からない。特別な事も言っていない し、内容だってパンフレットの裏側に書かれてあるものに忠実だった(今思えばこれは完全にネタバレともいえる)。しかし、よく考えてみれば普通のことだっ たから泣けてきてしまったのではないだろうか。痒いところに手が届くが如く。

普段みんなは知っているし分かっているようなことは口には出さない。そのような類いの事柄をわざわざ言ったことところで何も変わらないし、実際になってみな いと分からないようなこと(“死”はこの類いにあたる)を「わが星」では家族の一日や一年を地球の自転や公転とあわせて描いていく。前者と後者は共に時間 という概念下で同じ時間の量であることに違いないのだが、その時間の解釈としては人と星では大きく異なる。人にとっての一日と星にとっての一日は“寿命” おいての割合は違いすぎる。その尺度の違う二項を比較しているのもナンセンスであることは分かっているのに、この舞台では何事もないように描かれる。理不 尽ではないが理不尽なようにも思えてしまうような“死”に対しての人の思いを無視して、星も人も消滅へと向かっていく舞台上での時間軸に乗せ、かなりざっ くりとしたフラクタル構造のようなものを持って物語は展開していく。

私が泣けてしまったのは、やはり自分は人で、“死”という当たり前にあることに理不尽だと思ってしまう心情が働きかけてしまっていたからで、自分は心がある (“死”は終わりということをなんとなく認識している)人間であるという事実と絶対に消滅はやってくるという実体験のない受け入れがたい、どうしようもな い隔たりからきていたのではないか。その二項間の関係はそっくり団地に住む家族の時間と星が動くことのでの時間とを描く「わが星」のシチュエーションにリ ンクしていく。この感じは普段一話完結で成立しているアニメの劇場版に近い。

一話完結のマンガやアニメというのは、永遠に続く日常を描いており主人公が成長することがない。設定としては主人公が成長してしまっては、その世界の中での バランスを崩してしまう。例えて言うなら金曜7時からテレ朝で見た時とそのアニメの劇場版の普段と違う、あの感じ。劇場版で描かれる深刻な描写は主人公を 何かしらの心情変化を起こさせ(それは成長に近い)、観る側も普段とは違う心の揺さぶりを体験する。しかし、その成長は劇場でだけの話であって、また金曜 になれば、普段どおりの永遠の日常が描かれる。キャラクターのビジュアルは同じであれど、中身は全くの別人なのだ。

「わが星」はアニメの劇場版に近いとは言ったが、舞台でありアニメ放送のようにまた来週の同じ時間に永遠に続く日常を描くわけではない。何度かの公演を以てし て、終焉する。それは青年団リンクままごとのつくってきた「わが星」の世界が終わるということで、表面にでかかっていた、誰もが知っているし分かっている ことを再び奥の方にしまい込んでしまっているようでもある。

なぜ泣けたのかなんて、どうでもいいことではあるとは思うのだが、たった80分の短い時間の中で永遠に続く日常を終わらせないようで終わらせた、終わらせたようで終わらせない、ままごとの舞台は一言「よかった」とつぶやくだけで十分にも思える。

な お、パンフレットの裏には「あー、地球に生まれてよかった」と大きな文字で書かれているが、この舞台は日本語圏であるから成立するような言葉の響きのニュ アンスが多くあったように感じられた。地球の部分は日本であってもよかったのかもしれない。もちろん観る側からも同じように思えたことも 確かではあるのだけれど。「あー、日本に生まれてよかった」と。


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