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「ダッチワイフ」という存在は 知っているにせよ、使ったこともなければ、実物も見たこともない。男性の性対象の代替品(品、と使うのはおかしいのかもしれない)として存在している“モ ノ”が「ダッチワイフ」だ。性対象の代替となるのであれば、お金さえ払えば“モノ”ではなく“人”でも可能ではある。しかしそこを後者ではなく、あえて前 者を選ぶというところに使用者の理由が介在する。その理由は様々ではあろうが、少なからずとも人とモノの間にある一方的なコミュニケーションは、相手を思 う愛のようなものがあるように思える。むろん、これはとてもイノセンスな理由である。反応の有無を問わず、愛するのだから。
「空気人形」が名作なのか迷作な のかはよくわからない。というのも先述した通り「ダッチワイフ」が男性にとってのものであるため、この映画を見る際に性差が左右する内容であるからだ。と いうわけで自分にとって客観的に考えたところで結構なフィルターにかかった上での鑑賞でしかないわけで、以下書けそうな部分は箇条書きのような体で記して おく。
『空気人形がなぜ人の心を持ってしまったのか、というところが不十分。』
人の形をしているから“空気人 形”であることは分かっているのだが、モノから人(めいたもの)へ変化するのであれば、それなりにゼロから成長していかないことには納得ができない。日本 の映画だから日本語を話す“空気人形”。そのことに関しては“ワンダフルライフ”でのこの世とあの世の間の世界を描く際にも言えていたことで、この地域で のルールに則ったからこうなったようなある種、構造主義とも言えるものに依存しすぎているのではなかろうかと思える。それはちょっとズルい。
『描かれる地域が東京下町だけでなく、新宿のような山の手線の西部の繁華街に至ってしまったこと。』
“空気人形”はファンタジーであ る。現実世界の中でありそうな感じを描こうとするなら狭い地域、地区で話が展開していったほうが、粗は見えなかったはずである。そもそも空気人形のぞみの 持ち主秀雄が住む町は月島で昔ながらの下町情緒溢れる地区と川を挟んで高層マンションが建つという東京のミックスされたロケーションの描写は映画開始30 分くらいは丁寧に描かれていたと思うし是枝映画らしく美しく描かれていた。しかし後半に近づくにつれ、荒さが目立ちはじめる。月島のしがないレンタルビデ オ店で働く純一が東京タワーを窓からどかっとナメで見えるような港区あたりの部屋に住めるのか。オダギリジョー演ずる人形職人が新宿に住む必要はあったの か。その必要性以上に空気人形が新宿へ行くためのリスクのほうが大きかったように思える。月島から新宿に行くためには電車に乗らねばならないのだ。そんな に広域で話を展開するほどの要素はあったのか。
『登場人物の数はよかったのか。』
今作の本筋自体は空気人形とその 周辺の人々のお話である。「空気人形はからっぽで、現代を生きる人々も同じようなことが言える」という構造を月島周辺に住む人に投影する必要があったの か。空気人形を介して偏屈しているかもしれないが純粋である愛のベクトルを描こうとしている話の中で、本筋と関係のない人々を入れ込むことは水を差してい るように思えて仕方ない。ロケーションに関してと多少カブるのだが、もう少し絞った登場人物でも物語は成立するはずだ。
『「空気人形」が「自分を愛してくれているかどうか」を確かめる相手を間違えている?』
これは最大のミスとも言えるよう に私は思う。ネタバレになるのかもしれないが、後半上記のような場面がある。“私は「心」を持ってしまいました。持ってはいけない「心」を持って”しまっ たから、空気人形は人間に近い描写をされている。しかし、空気人形が愛を確かめる相手は思いを寄せる相手ではない。人が人を好きになるのであれば、好きな 相手からどう思われているかが大事なわけで、そこを間違えて描かれているような印象を受ける。これが監督の意図的なものであれば、空気人形の心は準人間程 度の心であったということになるのであろう。ともあれ私は映画館で見た際には「え?」となってしまった。
書くと文句ばかりになってしまっ ているようであるが、物語の内容自体は面白かった。しかし大きな欠落があるとすれば、たくさんの要素を入れ込むわりには雑に描きすぎなんではなかろうかと 思うのが「空気人形」を見て思うことではあるし、「ワンダフルライフ」からさほど変わっていない、そのざっくり感そのままに監督業から離れてしまうのは残 念である。

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