結局絵の具をメディウムとしたのドット打ちじゃないか、とか言ってしまったら元も子もない。
内海聖史の絵画はプロセッシングのソースを用いて制作された人工生命めいたツブツブのようではあるけれど、その感じをファインアートでやったらこうなった、という感じである。
内海は絵の具の美しさを表現すべく、ドットで絵の具のマチエルを活かした制作を試みている。シンプルなドットだからこそ、絵の具の持つ物質感が表面にでてくるゆえ、内海の作品は図録での展示風景で見るよりずっと実物の方が、ただのドット打ち、という印象以外のものを感じさせてくれる。内海の絵画は確かに平面であるけれど、絵画的空間性以上に実空間へのアプローチ及び実空間の中での絵画のありようを感じさせてくれる。ドット打ち、点の重なりが内海の意思を持つ事で平面から飛び出してくる、そんな感じなのだ。
コンピュータを使用したビジュアルのものは、凄たらしい。しかし、その凄たらしいさのほとんどはソフトウェアのテクニカルによるものであると私は思っている。コンピュータによる描画はバグが起きては、基本的に作動しない。しかし、アナログな人為的なバグ(要はデジタルのバグの対極、手描きによるミスのようなもの)は物質として成立し、そのバグのような要素が絵画としての面白さだったり、可能性へと繋がるファクターになりうるような気がしている。
内海の絵画はアナログなバグの生み出しうる形を簡潔に、かつ作品としてそのようなマイナスに働きうる要素を昇華させた形なんではなかろうかと、感じる。

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