Port Gallery T
楢橋朝子は水の中の人、という印象がある。”half awake half asleep in the water”というシリーズでのビジュアルが及ぼす影響が何より強いとは思うのだが、寝ぼけ眼で視界がぐらぐらしていることを体現したかのような水平が守られない水の中から撮影された写真群は、タイトルの日本語訳’水中での半睡半醒’というのにふさわしい。
今展示”フニクリフニクラ”は楢橋が”half awake half asleep in the water”を発表した以前に発表した作品(撮り始めたのはどちらが先かは分からないが写真集として発売されたのは”half awake〜”のほうが早い)であって、街を歩く中で撮影されたよう。街というの身近な街であって、国内で撮影されているのだが、イメージの中の例えば看板のような日本語表記されているものが写っていなければ、日本かどうか分からない。身近な街でのスナップというと、どうしても意図しない生活感がついてまわるのが常であるが、楢橋の作品ではそういったものが感じられずとも、『見落としがちな』風景を作品化している。
とはいえ『見落としがちな』風景を作品化するとなるには、何かしらのギミックが必要だったりするわけで、そのまま『見落としがちな』風景を展示してしまうとしたら、見る側も見落としてしまう。楢橋の発表した”フニクリフニクラ”はサイズこそ11×14インチと大きいわけでもないがメディウムがC-printと特に変わった出力でもない。しかし、見た感じが「しとっ」としているのだ。物質としての写真自体が水分を含んでいるような、指で押せば水が染み出てくるような。”half awake〜”以前に”フニクリ〜”を発表しているとはいえ、水気に関しての直感めいたものが本人のなかにはあったのかもしれない。もしくは映画「オランダの光」の中に見られるような、オランダにはオランダの光があって、レンブラントをはじめとするアーティストに影響を与えていたようなものに近いのか。いずれにせよ、楢橋の写真には水っぽいようなマチエリめいたものが感じられるのだ。
写真と絵画は同じ平面表現であり、絵画をつくるうえでマチエル(画肌)は重要なファクターの一つである。しかし写真を紙に出力する場合、制作者側の多くの場合はマチエルに関しての意識は驚くほど低いように思える(プリント面の傷等は除いての話ではあるが)。ティルマンスは印画紙をモノをして扱う事で写真の拡大解釈へと繋がった。楢橋の写真はwebで見た時と実物の印象が大きく異なる。イメージのマチエリを操作したように見える楢橋の写真は紙である写真の物質性の可能性を感じさせる作品であったように思える。

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