2009年6月22日月曜日

池田亮司 +/- [ the infinite between 0 and 1]

東京都現代美術館

6月21日は夏至で一年で一番昼が長い日である。とはいえ’昼’というのを個人のレベルで満喫するには、やはり日の出と日の入りがはっきりする晴れでないと’昼’自体の始まりや終わりがわからないわけで、今日の雨という天気からすると結局夏至を満喫できずに終わった一日であったのは疑う余地なしである。
とまぁ前置きはだらだら書いたが6月21日に終わる展示はどうやらいくつかあるということは知っていたのだが、じゃあどの展示を見に行くかとなるにしても雨という天気からすれば、どれも見に行くのめんどくさいとか思ってしまうのは悪い癖だとか思いつつも、そういえば池田亮司を見に行くつもりで見に行けてなかったことを思い出し、現代美術館に向かう事にする。
ここまでは完璧に日記な気がする。


池田亮司をミュージシャンというカテゴライズはなんだか違和感を感じる(wikiでは実験音楽のミュージシャン、となっている)。どういう立場で見るかはどうとも言い難いが、今展示は映像+サウンドのインスタレーションである。実際前評判というか見に行った知人から聞いた話では、見に行くべきかどうかはよくわからない、というような事を聞いたが、確かにシチュエーションによって大きく見え方が変わるような展示であったことは確か。
良かった点としては会場構成。1F・B1Fともに同じようにL字の空間をとり黒と白の対比をわかりやすくつくったこと。建物の構造上の問題で柱が邪魔にはなったがタイトル”+/ー”を再現するための空間作りは充分に感じられた。
悪かった点、というか私が最終日に行ってしまったことが大きくあるとは考えられるが、白い部屋、B1Fの床が白くはなくなってしまっていること。当たり前だが、人が入ってナンボの展覧会。人が結構来ました、という証拠か床のフェルトは鑑賞者の足によって汚されていた(かくゆう私も汚した一人ではあるが)。やはりハレーションを起こすくらいの白さは、白のまま保っていて欲しい。
池田はモノクロがベースの映像をプロジェクションし、大きな空間での鑑賞する。鑑賞者は大きな空間であるから視点を動かす。しかし、この鑑賞行為がモノクロ以外の余計な色を知覚させる。プロジェクターから発せられる光はRGBで構成されており、あるプロジェクションをした光を見て別のプロジェクションの光を見てしまうと残像としてRGBが見えてしまうのだ。このことは生理現象であるからどうにもならないといえば、どうにもならないのだが・・・。なんとかできなかったものか。

ミニマル、最小限の創作方法という定義は自然発生的に1960年頃に生まれてきたそうだが、色々と前述はしたが主にモノクロの映像をプロジェクションする池田はミニマルの系譜に乗っていると思って良いはずだ。その証拠にYouTube等の動画サイトの粗い画像であっても、池田の映像(ライブ映像でなく音楽に付随するプロジェクションされるであろう映像)は視覚的のも耐えうる。私はYouTubeを配信という意味でなくヴィジュアル的に味方につけた点は池田亮司の作家としてもっと評価されるべきだと考える。ミニマル、ミニマル言っておきながらではあるが、池田亮司を知っている人なら(言葉の選びは違えど)黒い画面に白い数字がぐるぐると並んでるような映像を思い浮かべることができるように、かなり抽象的とも言えるような共通認識を思わせる作品をつくるのが池田であって、とはいっても池田を知る人が思い描く映像はきちんと池田亮司の映像として在るのだろうからミニマルっていうのは定義自体はモノありきの結構曖昧なもんじゃないかとも思う。



実際のところ、池田亮司のインスタレーションだけでチケット代が1000円というのは高い。確かに現代美術館並の大きな空間は見る事はなかなか稀な機会ではあるけれど、ご自宅のPCでのYouTubeでも結構楽しめますよ?

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