c・スクエア
http://www.chukyo-u.ac.jp/c-square/top.html大西の作品は本物を本物以上に、という印象を受ける。実際にバリの処理や着色の正確性などのテクニックは言わずもがなではあるが作品の一部をFRPの素材そのままであったり、複製を対に展示することで、ただの複製ではない作品性を孕む。
その”ただの複製ではない作品性”というものがどういったものかを言葉にするのは容易くはないが、「質感をリアルにするところが目的ではない」という大西の言葉から、ただマルチプルの作家と言われるのは遺憾なのであろう。
しかし質感への追求ではないにしろ、透明であるFRPの一部(特に足、設置部分)を露出させることは、モノとしての強さを弱めるようにも思えるし、また対になる作品群は時間軸を止めてしまっているようにも感じられ、立体芸術≒彫刻の持つ彫刻性からは遠く離れているものを大西は求めているように感じられる。
とはいえ、大西は彫刻性とかそういったものの上で作品を語ろうとしている訳ではなく、鉄筋を”tekkin”に、スコップを”sukoppu”へと表記を変えているような、前者と後者の間の事柄(間だけでなく前者•後者も含めるのかもしれない)を埋めていくような行程を体現しようとしているのかもしれない。

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